鍋で思い出に残ることがある。
気難しい祖父の食事は隠居生活のリズムを整える為に、時間厳守であった。
朝ー8時、昼ー13時。
おやつを食べ続けようやく夕飯7時。
その日は母の仕事が長引いてやや遅れ気味であった。
夕飯は祖父のみ祖父の大好物、“すき焼き”。
急げば急ぐほど、要領の悪い母がどたばた支度をしていた。
子供たちは帰りがバラバラなので別メニューが常で、
たまたま、早く帰宅した私は、ちょっと羨ましく思いながら、
傍らで手伝い、ホットプレートの鍋に材料を並べていた。
そのとき突然、視界から鍋が消えた。
えっ、と思った瞬間、次に見たのはひっくり返った鍋と、
コードに足を引っかけて、失態をおかした母の表情。
私は祖父の怒りの恐ろしさを思い、どうすべきか言葉を失った。
どうしよう、どうしよう、とオロオロする母。
二階で、すき焼きを楽しみに待つ祖父。
一瞬の動揺の後、母が突然、床にぶちまけた肉や野菜を、再び鍋に並べだしたのだ。
さすがの私もその行動に驚き、
「どうするの、それ?」とおそるおそる尋ねた。
一番聞きたくない答えが母の口から発せられた。
「上の方なら大丈夫よ。」と。
半分自分に言い聞かせるように。。。
母の決意は固く思え、否定することもできなかった。
あの日、美味しそうにすき焼きをほおばる祖父の顔を一生忘れない。
今は亡き、祖父に贈る言葉『知らぬが仏』
寒さがみに染みてくると、我が家の鍋を思い出す。
ただ、私が思い出される鍋への思いは、鍋で温まりたいとか、
幸福な家族団欒ではない。
もちろん、冬場になると一般家庭並に鍋の回数は増えるのだが。
父が大の鍋奉行なのである。
会社の出張で行った先々のご当地鍋を自宅で再現したがる。
北は北海道の石狩鍋、きりたんぽ鍋、はたはた鍋、牡蠣の土手鍋、ハリハリ鍋…
もちろん、すき焼きや水炊き、湯豆腐も含め、外での味を家庭で再現しなくてはならない。
父は得意げに母を連れ立って、玉川高島屋のショッピングセンターへ
材料の買い出しへ向かう。
帰宅後の母は父の記憶の中にしかない、御当地鍋を再現するために、
あれやこれやと調べて、材料の仕込みに追われる。
しかし、もっと大変なことがある。
兄が、大の鍋嫌いであることだ。一つの鍋をみんなでつついて食べるのが
苦手なのだ。その上、父が食事の前後、あれやこれやとかなりうるさい。
材料の切り方だの、味付けだのこれが違うとか、
これはこうとうんちくをふまえ、旨いだろ、旨いだろと
“美味しい”という言葉を、強要するのだ。
もともと声の大きい父は、普通に話しているだけで怒鳴っているようなのに、
鍋の時のそのせわしなさといったら。
ほとんどの場合、途中で兄が切れる。父も不機嫌になる。
最終的に食事中に兄が部屋にこもってしまうことが多い。
私と母はO型故に、この二人の仲裁に入ろうと四苦八苦して、
心身共に消耗してしまう。
鍋に関して思い出されることは、父のニヤニヤした得意げな表情と、
兄の不機嫌な表情。面倒くさくて、あきれた母の顔。
そんな風に思い出される光景は、けっして穏やかではないのだが、
何故か実家での鍋が恋しくなる。
何故だろう。
きっと、その混乱の中にも、風間家なりの家族の団欒が含まれているのであろうか。